目次
『自由の女神』の名前と場所について
『自由の女神』は有名で人気のある観光地です。訪れる前におさらいをしておきましょう。
ニックネーム | 自由の女神 |
Statue of Liberty | |
正式名称 | 世界を照らす自由 |
Liberty Enlightening the World | |
場所 | リバティ島(旧名称:ベドロー島) ニューヨーク湾内 バッテリーパーク(マンハッタン)から約3km |
UNESCO(2021)
『自由の女神』はニューヨーク港に浮かぶ国立公園局が管理する連邦財産のリバティ島にあります。(北緯40°、西経74.2°)リバティ島の面積は、約5万9,558 ㎢で、日本でいうところの国立公園に指定をされ、世界遺産でもあります。自由の女神は、港に入る人々の目線に合わせた完璧なシンメトリーで、南東を向いています。そして、毎日、ニューヨーク港に出入りする船や私たちを見守っています。
1924年 | 自由の女神:ナショナル・モニュメントに指定 |
1937年 | リバティ島:ナショナル・モニュメントに指定 |
1965年 | エリス島:ナショナル・モニュメントに指定 |
1984年 | 世界遺産(文化遺産)に登録 |
UNESCO(2021)
このリバティ島がある辺りは、17世紀あたりには干潟でした。ニューヨーク湾内に浮かぶ3つの島、リバティ島、エリス島、そしてブラックトム島は、原住民のインディアン レナペ族の牡蠣の採取場だったそうです。それから300年ほどは、牡蠣が取れていましたが、20世紀に入り道路建設のために海岸線を土砂で埋め立ててからは、牡蠣は姿を消した様です。その後、1807年、アメリカ軍はリバティ島をニューヨーク港の警備する軍の駐屯地としました。今とは違う景色だったんですね。
自由の女神が送られた背景
世界遺産にも登録されている『自由の女神』ですが、どういう敬意で建てられたのでしょうか。「フランスから贈の贈り物」というイメージはありますよね。
『自由の女神を贈ろう』と提案したのは、フランス法学者のエドワール・ド・ラブライエでした。米仏両国の友好の証として、そして、アメリカ独立100周年記念と南北戦争後、新たに統一されたアメリカへの贈り物として、1865年にフランス国民に募金を呼びかけ、その寄付金で自由の女神の像は製作されました。民主主義の考えを強く持っていたラブライエは、南北戦争の終結でアメリカが疲弊しているその時、民主主義と自由が求められていると強く感じたのです。また、ラブライエは、奴隷解放をフランスの啓蒙(けいもう)思想と結びつけようとしました。自由の女神は、民主主義、南北戦争、フランス奴隷制度、そして、現在はLGBTQを含む様々な自由の『象徴・シンボル』となっています。
自由の女神 ボディの特徴と意味
さて、その自由の象徴である自由の女神ですが、その容姿を覚えてらっしゃいますか?
女神と呼ばれているだけに、女性であり、右手に何かを掲げていたような… というイメージでしょうか。ここでは、その姿を振り返りましょう。右手には聖火、左手にはタブレット(銘板)、頭には王冠、そして足元には鎖(くさり)と壊れた足かせがあります。(残念ながら、足元は地上から見ることができません)それぞれには意味があるそうです。
1. 王冠
王冠には7つの突起があり、その突起の光線は放射状の後光を表し、「オーレオール」(*光冠・コロナ)とも呼ばれている そうです。(National Park Service January 15, 2022) 「光線・太陽光が世界へ羽ばたく」という意味で、『自由の女神の王冠から世界へ光のパワーが送られているイメージですね。王冠には25個の窓があります。
・王冠ツアーがありましたが、現在は行われておりません。(2022年5月現在)
*光冠(こうかん)…太陽や月の周囲に見える光の輪。大気中の微細な氷の結晶や水滴などによる光の回折のために起こる現象で、内側が青く外側が赤色に見える。暈 (かさ) 。(goo 辞書)
2. 右手の聖火
『自由の女神』はニックネーム、正式名称は『世界を照らす自由』”Liberty Enlightening the World” でしたね。聖火の意味はこのEnlightening(自由主義) の象徴とされています。まさに、正式名称とおり、この聖火で世界を照らしています。1986年に聖火は新しい物に交換されました。オリジナルの聖火は、リバティ島内の博物館に展示してあります。
3. 左手のタブレット(銘板)
独立記念日の日付、1776年7月4日がローマ数字(JULY IV MDCCLXXVI)で刻印されています。法の支配、民主主義、アメリカでは法が最も重要であるという意味の様です。
4. 足元の鎖(くさり)と壊れた足かせ
奴隷制の終焉を象徴するため、足元には鎖(くさり)と壊れた足かせが置かれています。政治への抑圧からの脱却、は南北戦争やフランスの奴隷制度脱却への願いなども含まれているともされています。(歴史学者バリー・モレノ)
王冠 | 特徴 | 7つの突起・25個の窓 |
意味 | 光線・太陽光が世界へ羽ばたく | |
右手 | 特徴 | トーチ(聖火) |
素材 | 銅製、2.4金の金箔で覆われた物に交換(1986年) | |
意味 | Enlightenment(自由主義)のシンボル・「世界を照らす」 | |
左手 | 特徴 | 銘板(タブレット) |
独立記念日の日付、1776.7.4がローマ数字で刻印 | ||
意味 | アメリカの独立を記す | |
足元 | 特徴 | 鎖と壊れた足かせ |
意味 | 奴隷制度の終焉の象徴 |
The Statue of Liberty – Ellis Island Foundation, Inc.(2021)
National Park Service (January 15, 2022)
自由の女神 ボディサイズと素材
ここまでで、自由の女神が贈られた背景とボディが表す意味みが分かってきました。それでは、サイズはどれくらいでしょう。地面から聖火まで92.99m なんだそうです。運動会の100m 走を思い出してしまいました。女神の唇は90cmだそうです。なんとか私の腕でハグができそうです。 この大きな唇を持つ女神の顔ですが、モデルが存在するのか気になりますよね。自由の女神のデザインを依頼された彫刻家、フレデリック・オーギュスト・バルトルディは実母をモデルにしたと言われています。
*リバティ島ミュージアム内で銅色の女神の顔をご覧いただけます。
地面からトーチ(聖火)先端まで | 92.99 m |
台座からトーチ(聖火)先端まで | 46.05 m |
足のかかとから頭頂部まで | 33.86 m |
手の長さ | 5.00 m |
人差し指 | 2.44 m |
頭部・顎(あご)から頭蓋(ずがい)まで | 5.26 m |
頭の幅 | 3.05 m |
目の横幅 | 0.76 m |
鼻の長さ | 1.37 m |
右腕の長さ | 12.80 m |
右腕の幅 | 3.66 m |
腰の幅 | 10.67 m |
口幅 | 0.91 m |
タブレット(銘板)の長さ | 7.19 m |
石盤の幅 | 4.14 m |
石版の厚さ | 0.61 m |
地面から台座まで | 46.94 m |
National Park Service (June 1, 2021)
このような巨大な自由の女神ですが、どのくらいの重さがあるのでしょうか。重さの値を見ても、もはや想像がつかない領域です。サイの体重が約1トンらしいです。自由の女神に使われている銅の重量だけでも、31トン。サイが31匹縦に並んでいる姿を想像してしまいました。自由の女神は、1884年にフランスパリで仮組み完成され、214個に分解されフランス海軍軍用輸送船イゼール号でアメリカに運ばれました。
銅の重量 | 31 トン |
骨組みの重量 | 125トン |
コンクリート基礎の重量 | 22,494 トン |
National Park Service (June 1, 2021)
『自由の女神 』資材とボディカラー
上の図にもありますように、自由の女神のボディは銅で作られています。31トンの重量がある女神像ですが、ボディを作られている銅の薄さは、1 セント硬貨を2枚重ねた厚さだそうです。意外に薄いですね。銅が選ばれた理由は3つ、軽さ、成形し安さ、頑丈さだったそうです。女神の像は300以上の銅板からできています。ここで、銅でできている自由の女神なのに、なぜ、緑色なの?と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
元々の自由の女神の色は銅色でした。現在の色は緑青(ろくしょう)と言います。銅が酸化することで錆が生成され、皮膜を作って内部の腐食を防いでいます。ニューヨーク湾に佇む自由の女神、大西洋から吹く海風で、酸化スピードが速かったかもしれませんね。頑丈な自由の女神ですが、風速50マイルの風で女神像は最大7.62 cm、トーチは最大15.24 cm揺れ動くそうです。
風の揺れ | 風速50マイルの風 |
像 | 7.62 cm |
トーチ | 15.24 cm |
National Park Service (June 1, 2021)
『自由の女神』 設計にまつわるエピソード
この自由の女神像の設計に携わったのが、フランスにあるエッフェル塔で有名なアレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルです。
発案者 | エドワール・ド・ラブライエ(法学者・政治家) |
デザイン | フレデリック・オーギュスト・バルトルディ(彫刻家) |
設計者 | ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュック |
アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル |
Britannica (2022)
台座設計者 | リチャード・ モリス・ ハント(建築家) |
National Park Service (January 30, 2021)
発案者であるエドワール・ド・ラブライエが、彫刻家のフレデリック・オーギュスト・バルトルディに女神の全体のデザインを、そして、技術的な女神の設計は、ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュックに依頼しました。ウジェーヌが設計4年目にして亡くなったため、その後をアレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルが継ぎました。エッフェルの構造には、81トンの重量を支えながら、風の衝撃を緩和する機能があります。エッフェルがいなかったら、自由の女神は建設できなかったかもしれませんね。
ここまでは自由の女神の「像」の部分でした。
自由の女神ですが、「台座」の上に建っています。この「台座」部分はアメリカが手掛けることとなりました。台座はリチャード・ モリス・ ハントによって設計されました。台座の高さは、約47mで自由の女神の半分の高さになります。リチャードは、設計の際、2つのポイントを考慮しました。1つは、女神より目立たない。そして2つ目は女神を引き立たせることでした。リチャードは3つの台座を設計し、最終的に荒い部分と滑らかな部分があり、全体が高く見える古典なデザインが選ばれました。
リチャードが設計した台座は、アメリカ軍が駐屯地としてエリス島を使っていた際に建設されたフォードウッドという砦(とりで)の上に建っています。
*3つのデザインの模型は、リバティ等のミュージアムでご覧いただけます。
この台座の設計費ですが、アメリカ側も寄付でまかなおうとしましたが難航しました。そこで、ピューリッツァー賞で有名なジョゼフ・ピューリッツァーが一役買うことになります。新聞の編集発行人だったピューリッツァーは、富裕層や中級階級の人々向けに記事を書き、より多くの寄付を募るために「寄付をした人の名前を紙面に載せる」というアイディアを思い付きます。その後、アメリカ全土からの寄付金が寄せられ、台座の建造資金が確保されたのです。
そして、1886年10月28日に無事に除幕式を迎えることができました。当日はあいにくの雨でしたが、グロバー・クリーブランド大統領をはじめ100万人以上の観衆が集まり、顔にかけられたフランス国旗を製作者のバルトルディが除幕しました。
バッテリー・パークにある像について
ザ・バッテリー(バッテリーパーク)
The Battery
バッテリー(旧名:バッテリーパーク)は、観光客には自由の女神の玄関として知られていますが、歴史的な場所でもあります。マンハッタン島南端に位置し、ニューヨーク港に面した10ヘクタールの公立公園です。北はバッテリープレイス、東はステートストリート、南はニューヨークハーバー、西はハドソン川で囲まれています。
その名前は17世紀後半に集落を守るために建設された大砲の砲台にちなんで名付けられました。園内には様々なモニメントがあります。
クリントン・キャスル(キャッスル・ガーデン)
Castle Clinton National Monument
キャッスルクリントンは、ニューヨーク市が始まった場所であり、ニューヨーク市の成長だけでなく、国の成長を表しています。円形の砂岩の砦(とりで)、オリジナルは、1808年から1811年にかけて沖合の人工島に建設され、埋め立てでバッテリーパークが大きくなると、その一部に組み込まれました。その後、ビアガーデン、劇場、移民局、そして水族館としても利用されました。1946年にナショナル・モニュメント、1966年10月15日に国家歴史登録財に指定され、現在は、自由の女神チケットセンターとなっています。
ニューヨーク朝鮮戦争退役軍人記念碑
New York Korean War Veterans Memorial
この記念碑は、朝鮮戦争(1950〜1953年)に従軍した軍人を称えるものです。 1991年に捧げられたこの記念碑は、ウェールズ生まれの芸術家マックアダムスによって設計され、米国で最初に建てられた朝鮮戦争の記念碑の1つとして有名です。
ジョンアンブローズ像
John Wolfe Ambrose
この記念碑は、そのビジョンと粘り強さがニューヨーク港への深海航路をもたらし、ニューヨーク港の存続可能性を高め、ニューヨーク市を米国の商業の中心地になるよう活躍したエンジニアのジョン・ウルフ・アンブローズ(1838–1899)です。1990年11月に、ブロンズの胸像が盗まれ、記念碑は完全に復元され、2017年にステートストリートとパールストリートのより目立つ、新しく造園された公園の周囲の場所に移されました。
イースト・コースト・メモリアル
East Coast Memorial
この記念碑は、第二次世界大戦中に大西洋で命を落とした4,601人の行方不明のアメリカ軍人を称えるものです。ゲーロンとセルツァーによって設計されたこの石碑は高さ約5.8mの巨大な8枚の石板で構成され、その上に故人の名前、階級、組織が刻まれています。
また、アルビノマンカによって彫刻されたブロンズイーグルが、波の上に月桂樹の花輪を握っています。これは、水っぽい墓で喪に服する行為を意味します。この記念碑は、米国連邦政府の行政機関の小さな独立機関であるアメリカ戦闘記念碑委員会(ABMC)によって委託され、1963年5月23日にジョンF.ケネディ大統領(1917–1963)によって奉納されました。
アメリカ商船船員記念碑
American Merchant Mariners’ Memorial
アメリカの歴史上、海で亡くなった何千人もの商船員を称える碑です。
独立戦争以来、何千という商船と乗組員が軍務に就いたことを記念するために作られました。第二次世界大戦だけでも、700隻のアメリカ商船が失われ、6,600人の船員がこの世界的な紛争で命を落としたと推定されています。碑は第二次世界大戦中、ナチスのUボートが商船を襲い、沈む船にしがみつく船員たちを収めた写真を参考に、マリソル・エスコバルが ブロンズの人物像とボートをデザインしました。
ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノ
Giovanni da Verrazzano
1524年、フランス王政のために航海したイタリア人貴族ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノの像。ニューヨーク湾に入った最初のヨーロッパ人で、バッテリーと呼ぶその地を最初に見た人物。イタリア語新聞「イル・プログレッソ」の編集者カルロ・バルソッティが発案者で、イタリア人コミュニティの寄付金で製作されました。探検家の勇ましいブロンズの胸像がそびえ立ち、その上にはディスカバリーを象徴する女性のブロンズが置かれています。
シーグラス カルーセル
SeaGlass Carousel
2015年8月にオープンした海中庭園をイメージして作られたメリーゴーランドです。
シーグラスで作られているような魚に乗り、海底生物が発光しているようなキラキラした空間を回ります。海辺の立地とクリントンキャスルが以前に水族館として使われていたことがデザインに生かされています。